林泉寺縁起
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林泉寺縁起
今をさかのぼること500年以上の昔・・・越後守護代長尾重景と、諸国を行脚していた曇英慧応という室町時代の曹洞宗を代表する高僧が、上越の柿崎の地で運命的な出会いをした。重景は曇英和尚の人柄と、和尚の説く仏の教えに深く感じ入り、越後に留まってもらうために下小野という場所に庵を建て、そこに留まってもらうことにしたという。その庵こそが林泉寺の原点である。
重景がこの世を去った時、息子能景は父の17回忌までには春日山城の麓に曹洞宗の修行道場としてふさわしい林泉寺を新たに建立すると宣言し、その時が来たら迎えに行くと約束を交わした。
1497年(明応6年)能景自身が土を運び、汗を流して完成させた七堂伽藍落慶のため、齢70をすぎ老境にあった曇英ははるばる群馬から足を運び、旧き友能景との過去の誓いを果たしたのであった。
その約40年後、能景の孫、まだ7歳の幼い少年が、林泉寺の門をくぐり、7年間、6代目住職天室光育のもとで薫陶を受け育てられた。その少年の名は長尾虎千代、すなはち後の上杉謙信であった・・・・・